心のお世話を致しましょう…怒り編
仏様だって、3度目には、怒りますよ〜
怒っちゃいけない、
怒ることは良くない、
と、やみくもに信じ込んではいませんか?
仏様でさえ、
失礼なことをされると、3度目には
怒るそうです。
ましてや、
私ら、凡人の身です。
下手に
怒りをためこむと、良いことは起きません。
ためた
怒りに、利子をつけて、ますます大きくして、
大爆発なんてことに、なったりします。
あるいは、
怒りをため込んでいるうちに、
恨みに変わり、
いついつまでも、
持ち続けることになってしまいます。
だから、凡人は、
「どんどん、怒れ!」
言っている訳では、ありません。
怒りの感情と、それを
どう表現するかは、
また
別問題です。
怒りの感情は、
自分に
良からぬ事態が生じ、
それに対して、「何か
行動を起こせ!」
という
合図です。
まずは、
怒りを押さえ込まず、
自覚することから、始めましょう。
犬だから、「ワン」と吠えただけです
怒ってばっかり、
自分でもいやになる。
怒ってばっかり、
自分はすっきり、
じつは、
周りが迷惑している。
なんてことは、ありませんか?
怒りの感情が、わいているということは、
自分にとって、
良からぬ事態が生じており、
何かに対して、
行動を起せ、
という
指令が出ているということです。
けれども、
怒ってばっかりの人は、ちょいとお待ちを。
それって
本当に、
あなたにとって、
良からぬ事態ですか?
良からぬ事態かどうかは、
出来事や状況だけで決まるものではありません。
あなた自身の
信念、
考え方、
物事の
受け取り方によっても、左右されるのです。
たとえば、
犬があなたに向かって、「ワン」と吠えたします。
「犬だから、吠えた」
と思えば、ただそれだけのこと。
ところが、
「私に向かって吠えるとは、
無礼だ」
と思えば、
怒りもわいてくるのです。
自分にとって、
どれほどの
良からぬ事態と、
判断するかによって、
あなたの
怒りの感情は、
変わるのです。
怒りは、問題解決へと向かわせるもの
怒りの本来的な役割は、
良からぬ事態を、
解消させることにあります。
なので、
解消することを諦めている人には、
最初から、
怒りもわいてこないということがあります。
怒りを表現するなら、
良からぬ事態が、解消するよう、
効果的に表現しましょう。
相手に、「
こちらは良くないのだ」
ということが
わかるように表現するということです。
そしてまた、
相手に伝えるだけでなく、
自分自身も、解決に向けて、
何か
行動を起こす必要があるのかどうか、
考えてみましょう。
怒りは、ひとつのエネルギーです
怒りは、
自分にとっての
良からぬ事態を、
解消するための
原動力です。
怒りがあると、
恐怖心が薄れ、
平静なときにはしないような、
大胆な行動をしたりすることもあります。
怒りは、ひとつの
エネルギーなのです。
良からぬ事態を解消することよりも、
エネルギーの放出自体に、
快感を見い出してしまう人がいます。
そうなると、
このエネルギー放出の
快感を得るために、
怒りのタネを見つけるという、
逆転現象が起きてしまいます。
あなたは、大丈夫ですか?
うまく、八つ当たりする
八つ当たり。
あまり歓迎されませんが、
やるなら、
うまくやりましょう。
怒りをぶつけたいが、
そうすれば、かえって
自分が危うい場合、
その
相手が、わからない場合、
その
相手が、すでに存在しない場合、
そんなときは、やっぱり
八つ当たりです。
弱いものに当たると、
世間の相場は決まってます。
八つ当たりしたのに、
自分が傷ついたり、ケガしたのでは、
元も子もありません。
弱いものに当たるといっても、
人間を含め、生き物は、極力避けましょう。
生き物なら、せいぜい
害虫ぐらいにしておきましょう。
「虫ケラめ、てめえなんか人間じゃねえ。
ぶっ殺してやる!」
って感じでいかがでしょう?
あとは、
物に当たります。
叩いたり、壊したりです。
けれども、人様の物はいけません。
そして、あとで、惜しくなったりしない物を選びましょう。
無意識の八つ当たりには、気をつけろ!
怒っても当然だけれど、
そこまで怒るのは、ちょっと
行き過ぎ?
というような
怒り方には、
要注意です。
そういうときは、
自分でも
気づいていない八つ当たりが、
入ってるかもしれません。
自分が
過去に体験したのと
同じような状況、
あるいは、
同じような人に対して、
表現できずにいた分の怒りも、合わせて出すので、
その場には、見合わない、より大きなものになるのです。
過去の怒りの正体を、自分でも
自覚しましょう。
もしかしたら、
八つ当たりじゃない方法で、
解決できるかもしれません。
本当は、誰に
怒りをぶつけたかったのか、
自分に、聞いてみましょう。
仕返し、あだ討ち、かたき討ち
仕返しなんて、とんでもない、
と、あなたは思っていますか?
叩かれたら、
叩き返す。
これは、もっとも
直接的な仕返しです。
兄に叩かれた弟は、
親に言って、兄を
お仕置きしてもらう。
これは、自分では直接手を下さないけれども、弟からの
仕返しです。
被害者は、加害者を
重い罪で罰してほしいと思う。
これは、加害者の更生のため、ばかりでなく、
仕返しの気持ちがあります。
仕返しは、
怒りの表現または
解消として、
世の中に、広く存在していることです。
仕返し、おおいに結構、
と言っているのでは、ありません。
そういう
仕返ししたいという気持ちは、
普通に生じてしまうものだということです。
この気持ちを、
社会に適応した形で、
どう
処理していくかが、問題なのです。
現代の日本の社会においては、
あだ討ちは、
なしなのです。
されて嫌なことを、自分もまたする?
自分が
されて嫌なこと、
嫌だったことを、
いつの間にか、
自分が人にしていることがあります。
これは、
自分がやられたことを、
別の人に
やり返して恨みを晴らす、
八つ当たりのひとつですが、
本人の気持ちとしては、
仕返しです。
自分がされて嫌だったなら、
相手の気持ちがわかるから、そんなことする訳がない、
という話でもないのです。
怒りが、
解消されていないと、
意識している、していないにかかわらず、
こんな形で、出てしまうこともあるのです。
嫌な思いをしただけでは、
そう簡単に、
人に優しくなることはできないのです。
自分の
怒りの向け先を、
自覚したり、
怒りを解消していく必要があるのです。
普段温厚な人が、怒るとこわい?
「普段
温厚な人が、
怒ると
こわい」
などと言われますが、
いったい、どうなんでしょうか。
普段、
温厚なだけに、
怒ったときとの
落差が
激しく感じられる、
ということは、あるでしょう。
しかし、そればかりではなく、
実は、
温厚なふるまいをしつつ、
こっそりと、密かに、
怒りを
ため込んでる可能性があるのです。
その、ため込んだ
怒りを、
うわのせして、
怒るので、より
激しくなってしまいます。
自分は、
温厚な人間だと思い込んでいると、
まさか、自分が
怒りをためてるなんて、
なかなか気づきません。
けれど、
怒ったときだけは、
別人のように、
激しかったり、
行動的だったりするので、
自分でも、何かあると、
うすうす感じていたりするものです。
ところで、
あなたは、
温厚だと人に言われていませんか?
密かに
何かをため込んでいませんか?
恨みは、相手をあなたにつなぎとめる
あなたは、恨んでいる相手が、誰かいますか?
恨み続けるということは、
その相手が、
自分の心の中に、ずっと
居続ける、
ということです。
すでに、その相手とは、何の関わりがなくなっていても、
相手のせい、相手が悪い、
と思い続けている
自分こそが、
相手を、
自分につなぎとめているのです。
自分が、自分の心の中に、
相手の居場所を、
提供し続けていることになるのです。
それでも、あなたは恨み続けますか?
それとも、恨みを晴らしますか?
あるいは、恨みを手放しますか?
人を許さずとも、自分を許す
あの人のことは、
許せない、
と思っているあなた。
許せないのは、本当にその人のことですか?
その人によって、
傷ついてしまった自分、
はからずも、
そんな目に合ってしまった自分が、
許せない、ということは、ないでしょうか?
本当に許せてないのは、
自分自身のことだったりするのです。
自分が、
自分に腹を立て、
自分が、
自分を責めていたりするのです。
ただでさえ、
傷ついている自分に対して、です。
相手を許すかどうかは、あとまわしです。
それより、なにより、
自分自身を
許してあげてください。