「自分を育てるあの手この手」目次
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心のお世話を致しましょう…悲しみ編
あまりにも強い悲しみは…
痛みは、 身体の傷つきを教えてくれます。
そして、
悲しみは、 心の傷つきを教えてくれます。
痛みの程度が、さまざまであるように、
悲しみの 強さも、さまざまです。
痛みがあまりに 激しいと、
麻痺したり、 気絶してしまうので、
痛みを感じません。
悲しみもまた、あまりに 強いときは、
悲しさが、 感じられなくなってしまいます。
もし、 今、あなたが、
悲しみに苦しんでいるなら、
つらくて 耐えられないと、思っていても、
あなたは、その 悲しみに 耐えられるでしょう。
なぜなら、 あなたが、
今、その 悲しみを、 感じていること自体が、
耐えられていることの、 証拠だからです。
あなたの心は、
自分の 感情を麻痺させることを、選びませんでした。
あなたの心は、
あなたが、 その悲しみに耐えられる、
と判断したのです。
あなたには、 その力がある、
と判断したのです。
だから、
そうやって、 悲しさを 感じているのです。
たとえ、今、
悲しみのあまり、のたうちまわっていようとも、
自分の力を 信じてください。
悲しさは、痛みに似ています
痛みは、 身体の傷つきを教えてくれます。
そして、
悲しみは、 心の傷つきを教えてくれます。
私たちは、 痛みによって、
体の傷に、気づくことができます。
そして、 手当てすることができます。
もし、 痛みがなければ、
傷に気づくことが、大幅に 遅れてしまうでしょう。
悲しさは、 痛みに似て、 手当てが必要です。
放って置くと、 長引いたり、 悪化したりします。
たとえ小さな 悲しみでも、
その 悲しみが癒えないうちに、次々と 重なれば、
やはり、 重症化していきます。
それは、軽い 傷でも、
その 傷が治らないうちに、
また同じ場所に 傷を受けるのと、
同じことです。
悲しさは、 心の痛みなのです。
手当てをしたからといって、
すぐに 痛みがなくなったりはしません。
傷が治るまで、 痛みは、続きます。
まだ 痛い間は、 手当てが必要です。
悲しみもまた、
すぐに消えたりするものでは、ありません。
やはり、 時間がかかります。
何かを失っているから、悲しい
悲しさは、 傷つきであり、 失うことと、関係しています。
すなわち、何かが 無いことの 傷つきです。
あなたが、
今、 悲しんでいるのなら、
あなたの 心は、 傷ついているのです。
そして、
あなたが、 失ったものは何ですか?
失ったものと、あなたとの つながりが、
強ければ、強いほど、
傷は深いでしょう。
失ったものと、あなたとの 関係が、
複雑にからんでいれば、いるほど、
傷は大きいでしょう。
失っていないのなら、 悲しむこともありません。
なので、
悲しみを 回避するために、
失ったことを、 認めたくない、
という気持ちも起きます。
たとえ、自分が、直接体験したことでも、
その事実を、 受け入れられない、 認められない、
という気持ちは起きるのです。
失ったという事実を、 受け入れるためには、
時間がかかります。
時間がかかることを、自分に 許してあげてください。
始めから無いことの、悲しさ
悲しみは、何かが 無いことの 傷つきです。
その何かとは、単に物だけでなく、
自分の 体の一部や 能力、
人、 関係、 事柄、 時間、 空間など、
あらゆるものについて、あてはまります。
そしてまた、
悲しみが、生まれるのは、
今まで在ったものが、
失われた場合だけでは、ありません。
在ってほしかったものが、
始めから無かったことに、気づいたときにも、
悲しみは、生まれるのです。
これも、 無いことの 傷つきなのです。
そして、
このときも、 失った場合と同じで、
その 始めから無かったという事実を、
受け入れたくない、 認めたくない、
という気持ちが起きてきます。
事実を 受け入れるためには、
やはり、 時間がかかるのです。
悲しく感じていることを認める
悲しさは、つらい感情です。
できれば、味わいたくはないでしょう。
しかし、 痛みと同じで、 傷つきを教えてくれています。
自分の中に 悲しみがあるのに、
放って置いたり、
押さえ込んだりしては、いけません。
そうすると、 悲しみは、
長引いたり、
重症化したりしてしまいます。
悲しいと感じている自分を、 無視しないでください。
悲しいと感じている自分を、 認めてあげてください。
それは、自分の 傷つきを、 認めることでもあります。
「こんなことくらいで、傷ついて!」
などと、自分を 責める気持ちが起きるかもしれません。
弱い自分に、 腹が立つのかもしれません。
しかし、
強い自分に変えたければ、 傷が治ってからです。
それまでは、自分を鍛えることも、 我慢してください。
ケガと同じです。
そして、
自分には、まず 手当てが、必要なことを 認めましょう。
悲しみの手当て
悲しみは、 体の傷と同じで、 手当てが必要です。
手当てにおいて、
何よりも、最も重要なことは、
安全に、 保護することです。
体の傷と同じように、
傷口を、 保護し、 守る必要があります。
つまり、 傷を、悪化させるような 刺激から、 守ります。
そしてまた、
傷を負っていると、
傷を受けている部分だけでなく、
体の 全体的な力も、 弱まります。
なので、 傷口だけでなく、
全体的な、 保護が必要となります。
そうやって、 保護して、
自然治癒力が、最大限に 発揮できるような、
良い 環境を作るのです。
もちろん、
どの程度、 保護し、 守る必要があるのかは、
傷の程度によります。
なので、
自分自身でも、 悲しみの、 心の傷の程度を、
把握してください。
そして、
自分自身でも、良い 環境を作るための 努力を、
惜しまないでください。
悲しみは、周りからはわかりにくい
悲しさは、 心の痛みです。
何かが 無いことの 傷つきで、
心は、 傷ついているのです。
しかし、
体の傷とは違って、
周りの人からは、わかりにくいものです。
体の傷は、 一目瞭然。
どうやってその 傷ができたのか、知らない人でも、
傷口を見れば、その 傷の程度も、わかるし、
その 痛さも、容易に想像することができます。
ところが、
心の傷は、あなたが、その 痛さを 表現しなければ、
周りの人には、なかなかわかりません。
傷の治り具合についても、そうです。
たとえ、まだ 痛みがあっても、
あなたがもう、その 心の痛みを 表現しなくなれば、
周りの人は、治ったのだと、思うでしょう。
周りの人には、
あなたの 傷や 傷の程度を、直接判断することが、
できないのです。
なので、
あなた自身が、
自分の 傷つきを、 把握する必要があるのです。
そして、
それに見合った 手当てを、見極めてください。
悲しい気持ちを、表現する
あなたは、
傷が治っていくところを、見たことがありますか?
傷が治っていくときに、
体の組織から、 滲出液が出てきます。
これは、 傷が治るために、
とても大事な 役割を果たしています。
なので、
この 滲出液が出てくるのを、
邪魔してはいけないのです。
けれど、無理やり 絞り出す、
などという 無茶もいけません。
悲しいとき、 心は 傷ついています。
悲しい気持ちを、 表現することは、
滲出液が、 傷口から出てくるようなものです。
心の傷を、 癒やすために、必要です。
悲しい気持ちを、 表現することを、
邪魔してはいけません。
そして、 絞り出してもいけません
自分の 悲しい気持ちの通りに、
表現すればよいのです。
涙を流して、 泣いてよいのです。
悲しい気持ちを、
人に 話したり、
文章で書いたり、
詩のような形で表現したり、
絵や、その他の形で、表わす、
というのでもよいのです。
そうやって、
自分の 悲しい気持ちを、認め、 表現することが、
悲しむということです。
そして、
悲しむときには、
当然のことながら、
安全な、 環境と 人が、必要となるのです。
悲しいと、傷つけてしまう
悲しみに、必要なのは、 手当てです。
しかし、
悲しみを抱えていると、知らず知らず、
自分を 傷つけたり、人を 傷つけたりすることがあります。
言葉で傷つけることも、 体を傷つけることもあります。
それは、 痛さのあまりに、
じっとしていられず、 のたうちまわるのと同じことです。
そうすることで、
一時的には、元の 痛みを 紛らわすことができますが、
実際は、 傷を 悪化させるだけです。
自分を 傷つけることは、 手当てとは、反対の行為です。
そしてまた、
人を 傷つけると、その人から、
手当ての 協力を、得られなくなってしまいます。
そればかりでなく、
傷つけられた人は、 傷つけ返してくることも、
当然起こります。
自分を 傷つけても、人を 傷つけても、
良い結果には、なりません。
自分や人を 傷つけることは、
悲しみの解消にはならないのです。
むしろ、事態を 悪化させます。
覚えておきましょう。
悲しみに、怒りはつきものですが…
悲しみは、何かが 無いことの 傷つきです。
自分のもとから、 去っていったものに対して、
自分から、それを 奪ったものに対して、
あるいは、
無いという 事実そのものに対して、
怒りは、生まれます。
怒りばかりに、気を取られ、
悲しみが、 置き去りにされることがあります。
あるいは、
自分の 傷つきから、目をそむけたくて、
怒りまくることもあります。
怒りを押さえ込まず、 出すことは必要です。
(「 心のお世話を致しましょう…怒り編」を、ご覧ください)
しかし、
怒ることと、 悲しむこととは、別なのです。
いくら、 怒りを出しても、
悲しみは、 癒えないのです。
だから、
どんなに激しい 怒りがあろうとも、
自分の中の 悲しい気持ちに、気づいてあげてください。
そして、 悲しむことを、忘れないでください。
悲しみを放置している人は、
傷つきやすい
悲しさは、 心の痛みです。
心は、 傷ついているのです。
それなのに、
悲しいと感じている自分を、 無視し、
悲しみの 手当てをせず、 放置している人もいます。
そうやって、 悲しみを 放置していることは、
常に、 生傷を負っている状態です。
傷を負ったのが、ずっと以前のことであったとしても、
生傷である限り、
決して、 過去のことにはならないのです。
悲しみが 癒えるということは、
傷跡が残ったとしても、 生傷ではなくなることです。
痛みを思い出すことはできますが、
その 傷跡に触れても、 痛くはありません。
そして、
傷を負ったのが、 過去の出来事と、
思えるようになります。
生傷を 手当てせず、むき出しにしていれば、
そこは、些細な 刺激でも、 痛むでしょう。
そして、 傷ついたと感じるのです。
もしあなたが、
自分は、 傷つきやすいと感じているなら、
放置している 悲しみがないか、
自分に聞いてみてください。
悲しみの行き着く先は…
悲しさは、 心の痛みです。
何かが 無いことの 傷つきで、
心は、 傷ついているのです。
悲しいと感じている自分を、 認めてあげてください。
そして、 悲しんでください。
それでも、
失ったという事実を、
あるいは、
始めから、 無かったという事実を、
受け入れることは、簡単ではありません。
その 無いことが、 事実とは思えない、 信じられない、
という気持ちが、起きるでしょう。
また、
その 無いという事実を、 認めたくない、 信じたくない、
という気持ちが、何度も起きることでしょう。
無いという事実に基いて、 悲しむということと、
無いという事実を、 否定することを、
繰り返しながら、
無いという事実を、
受け入れることができるようになるのです。
そうして、
無いこと対して、 諦めることができるようになるのです。
悲しみの行き着く先は、 諦めなのです。
悲しみを抱えたままでは、
次に進むことができず、そこに とどまり続けます。
けれど、
諦めがついたとき、
次の 新たなものに向かって、
進むことができるようになるのです。
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